全部、言っちゃうね。|地域再生は信念(前編)

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流行りに乗りました。このタイトル

私のプロフィールにあるように、そもそもはアナウンサーを目指してました。

まあ、今も喋り手はやってますが、決してフリーアナウンサーとは言ってません。

だって、アナウンサーって名乗って仕事したことがないのだから。

局アナ経験は一切ないですから。

だから喋りの仕事の時は、ラジオパーソナリティとかタレントとは言ったりしています。

「才能」あるかないかは置いといてですが、、、(苦笑)

さて、本題。

本職の「地域再生」のお話。なぜ、その道に私が入ったのか??

1998年に遡ります。

その頃、市民活動界では大きな動きがありました。

その年の12月、特定非営利活動促進法が施行されました。通称NPO法と呼ばれるものです。

これまでボランティア活動や市民活動をしていた団体に行政からの認証を与えることで、法人格を付与するものです。

と偉そうに解説していますが、当時はそんなこと、ぜ~んぜんわかりませんでした(笑)

この法律の施行ののち、全国でNPO法人を作ろう!という動きが広がりました。

もちろん青森県内でも、第1号、第2号・・・。

私は当時大学院に通っていて、そこで学ぶ社会人の中にその「筋」に詳しい方々がいたのです。

その方々の誘いを受け、2001年に新たなNPO支援機関の設立に加わりました。

これが私の「地域再生」の道のスタートでした。

NPOのなんとやをほとんど知らなかった私がなぜその誘いに乗ったのか?

これも「天」から降りてきました。

まず、面白がりです。

何か地域を元気にするとか変えるとか、地域に関わることがしたいと思ったんですね。

そしてもう一つ理由がありました。

全部、言っちゃうね。って書いたので、ぶっちゃけます。

既にあったNPO支援機関の独占状態にしたくなかった。

実はその法人と一度お仕事したことがあったのですが、あまりいい印象がなかったのです。

新たなNPO支援機関の設立には、そこで活動していた人たちもいました。

新しい法人のミッションに共感しました。

一つの支援機関が独占状態でいることより、二つ、複数でもいい。

競い合うことで、青森県内のNPO業界の底上げ、活性化ができると思ったのです。

2004年にはコミュニティビジネスの支援を行うことを想定し、私は事務局長になると宣言しました。

肩書がほしかったのではありません。

とにかく他の支援機関に負けない。勝つんだ。そのために私は組織に貢献したいと思ったのです。

そのあとは、コンペとかあっても勝ち続け、自信をつけていきます。

やればできる、、、と。

(後編へ)