夫婦愛、家族愛

2016年に亡くなった父のことです。

8月4日の夜、急死しました。

風呂場の浴槽で倒れている父を発見し、救急搬送しましたが、搬送先の病院で亡くなりました。

「もう手の施しようがありません。(医師が脈拍の数字がゼロのままの表示を見せながら)決めてください。」

私は、あまりに急なことでその事実を受け入れざるを得ませんでした。

第一発見者であり、父の最後を看取った唯一の家族です。

「ありがとうございました。」

言葉を吐き出すのがやっとでした。

「唯一の家族」

実は、母が7月から緊急入院し、父と私の二人暮らしになっていました。

母の代わりに、食事を作り、一緒に食べる。

父は母の分も働く(共働きで店を経営していたので)。

私は、毎日母を見舞いました。

いつも言われるのは、父のこと。

「おいしいもの食べさせている?」

「無理しないで早く寝てね」など。

父を週に一度見舞いに連れていくと、「家に帰る途中、スーパーに寄って、(父の)好きなもの買っていきなさい」と話し、“握手”をして別れました。

母は脳梗塞で入院しました。右半身が動かず、起きられません。

ただ、入院初期に比べ、右手の力が戻ってきました。

転院をし、本格的にリハビリしよう。

その転院日が8月4日でした。

転院先の病室で「今度親父を連れてくるからね」と言って別れました。

その夜に・・・。

希望と悲しみを体験した一日でした。

父が亡くなった病院には、親族が続々と集まってきました。

しかし、まだ父に会えません。

なぜなら、家での発見のため、警察の取り調べ(現場検証)があったのです。

事件性がないと判断され、ようやく親族が父と対面できたのは亡くなって4時間後。

父にかわいがられた甥っ子は「絶対に(医者になる夢を)叶えてやる」と強く、おじいちゃん(甥っ子から見て)の手を握って、泣いていました。

私は、苦労を掛けたこと、十分親孝行できなかったことを謝りました。

もしかしたら、父と過ごした7月からの1ヶ月ちょっとは、これまで親孝行できなかった埋め合わせが少しでもできた期間だったのかなと思います。

死因ですがはっきりしなかったため、翌日、病院に病理解剖をお願いしました。

緑内障のほか、いくつかの病気を患っていた父。

何でこうなったのか、はっきりさせたかったのです。

結果は「急性心筋梗塞疑い」

過去に2度、軽度の心筋梗塞を発症、心臓の周りには、血管のつまりも確認できたそうです。

その死因は、私含め親族には意外なものでした。

本当に突然死なんだと。

「母に父の死をどう告げるか」

父が急逝した中、問題は、転院したばかりの母にどう伝えるか。

いま告げて、病気が悪化してしまったらどうするのか?

納骨まですべて終わって、母に女性たちだけで話そうか、など。

いろいろな意見がありましたが、私がしばらく考えて出した結論は、骨になる前に会わせるでした。

夫婦として、そして仕事のパートナーとして生きてきた二人です。

見舞いの際も、“握手”をして別れた二人。

それを見ていたからこそ、最後は顔を見てお別れをさせたい。

それが、私ができる、最善の親孝行と思ったのです。

「がんばったね・・・」

翌日、母が入院している病院に外出許可を取り、母を遺体安置所に連れてきました。

遺体となった父と対面。

取り乱すこともなく、気持ちを落ち着かせるように、父の頬を撫でていました。

風呂場で倒れたこともあり、きれいな顔でした。

ひげも剃り、髪も染めた状態の父。

最後までダンディでした。

母は、事実を淡々と受け止めていたようでしたが、病院に戻ったところ、血圧が上昇し、安静が必要な状態でした。

実は相当ショックだったと思います。

でも、いつかは知らせなければならないことです。

気丈に受け止め、生きていく。

それを早くに意味づけられたことは、私は適切な選択だったと信じています。

「夫婦とは、家族とは」

突然のことで、ショックで食事ものどを通らないとはこのことかと実感しました。

喪主として、親族だけでしたが、納骨まで執り行うことができました。

7月の母の入院に始まり、父と向き合い、母が退院するまでがんばろうと言ってきた矢先、一番無念でならないのは父だと思います。

7月に誕生日を迎え、83年1ヶ月程生きた父。

亡くなるその日も普通に仕事をし、まだまだ生きようとした父。

今も家のどこかに父がいるような感じがしてなりません。

それほど亡くなったことが突然過ぎました。

弔問に来てくださった父の友人やお客様らは、父の急死に驚きながらも、父への感謝の言葉と母への励ましの言葉をいただきました。

改めて、夫婦とは何か?家族とは何か?を考えさせられた毎日。

きっと今度は、母を大切にしろよ、いい家庭を作れよ(まだ独身なもので・・・)と、父が天から言い続けるんでしょう。

毎朝、「気をつけろよ」と言ってくれたように。